ライト兄弟が動力飛行を成功させるはるか前の琉球王朝時代に、空を飛ぶことを夢見て、実際に飛ぶことができたうちなーんちゅがいる。飛び安里と呼ばれる親子は、二代に渡って試行錯誤を重ね、とうとう高津嘉山からの飛行に成功したと言われている。
安里周當は、琉球王家御用の腕利きの花火師だった。大層裕福だったが、那覇の首里から南風原町に移住し、津嘉山にある高津嘉山から妻に命綱を持たせて何度も飛行を試みる。周當の翼は凧のような作りの簡素もので、何度も飛行実験に失敗する周當に、周りの人々は「変わり者だ。」「飛ぶなんて不可能に決まっている。」と口々に言った。しかし、それに対し周當は「やってみて失敗したところで、初めからやろうとしないよりどれほどましなことか。」と口癖のように言ったと言われている。周當はとうとう空を飛ぶことは叶わなかったが、後に人々は周當の飛ぶことに対する情熱や努力を敬い、誰ともなく周當の事を「飛び安里」と呼ぶようになった。との伝承が残っている。
安里周祥は安里周當の四男として生まれる。空を飛ぶことを夢見た父の遺志を受け継ぎ、父と同様何度も試行錯誤を繰り返し、遂には飛ぶことに成功した。彼の翼は、弓の弾力性を補助として脚力で羽ばたく仕組みであった。全長4m、翼幅9m、全高2mもの大きさがあったと言われ、その骨組みは真竹が主材料であった。一部に鳥の羽毛が使用されていたとも言われる。周祥の書いた設計図は子孫に伝えられたが、経年劣化および火事による焼失で、戦前の時点では既に全てが失われていた。現在、飛び安里の直系の子孫は南風原から沖縄市に移住の後、ハワイに移住している。
世界初の有人飛行に成功するも、脚光を浴びることもなく現代に至ったが、1987年に沖縄三越にて「世界の鳥人 飛び安里200年展」が開催されると、世間の注目の的となった。会場には述べ3000人以上が来場し、テレビで全国に放映、各種雑誌にも取り上げられるなど人気を博した。会場には沖縄工業高校の生徒が作成した飛び安里の翼のレプリカが展示され、ラジコンや模型、記念切手などが発売された。沖縄工業高校生が作成したレプリカは、実際40~50mの飛行に成功した。
南風原町役場
「飛び安里の翼のレプリカが見れる!」
新しく建設された南風原町役場には、ライト兄弟以前に有人飛行に成功したと言われている南風原の偉人飛び安里が実際に使った翼の1/2スケールのレプリカが展示されている。骨組みは真竹でできており、羽部分は布が貼られている。とても王朝時代に設計して作られたとは思えないほどの立派な作りに沖縄の偉人の知恵や努力を目の当たりにできる。翼の大きさは約3mもあり、とても1/2スケールとは思えない迫力だ。
【場所】〒901-1111 沖縄県南風原町字兼城686
【tel】098(889)4430
【fax】098(889)7657
【mail】H8894430@town.haebaru.lg.jp
【時間】8:30~17:15
【休館日】土日・祝祭日
【駐車場】あり(無料)